選択


ひとって選択で成り立ってる。

オカンがオトンを選んで、自分が生まれて、
生まれたばかりのときは両親の選択にある程度従って、でも成長して、私自身が選択をすることになる。


後悔。
自分が納得して選んだそれに愛着が湧かない、むしろ選ばれなかったそれに対して執着してしまう。

特に、買い物の際値段で選んでしまったときと、多数決をして私の意見が通らなかったときはそうなる。

自分がぶれない、頑固者だってことは自覚してる。だからこそ、人の意見を大事に聞かなきゃいけないのも。
それで上手くいったこともあった。
けど、たまに思う。
私はもっと意見を通すべきだったんじゃないのか?
私の選択は合ってたのか?
前に別の選択を取っていれば、こんな辛い思いしなくて済んだんじゃないか?

頑固者の私は、自分の選択肢をすごく大事にする。
私にとって、すべての選択肢は、「救いようがある」「ない」に分けられる。
正解なんて最初から無くて、殆どのケースでは私の努力次第で選んだ道を正解にできる。という、ご都合主義な考え方である。
でも、その軸はずっとぶれてない。

だからこそ。
例えそうなることを自分が選んだとしても、人の意見に流されるという選択肢を愛せない。どこかで後悔が生まれる。

そして「あのときこうしていれば」という無意味なパラレル思考に陥る。



これを防ぐために、私は何をすべきか。
すべてを正直にぶちまけることじゃないかと思う。

私は性格が悪い。頑固で空気が読めなくて、失敗が怖くて虚勢を張って、でも目立ちたがりのかまってちゃんである。
でも、私が思う以上にみんながそれをわかっているはずだ。
今更虚勢を張る必要なんてない。嘘ついて「みんなのためにこうしたい」って言うより、「私はこう思ってるからこうしたい」って言ってもいい人たちに恵まれた。
仲良い人たちに、もっと正直でいよう。


今回の教訓:
自分の見栄やプライドを捨てる。